秋葉原の通り魔殺人があって物騒な世の中になってしまったと思っていたら今週は「岩手・宮城内陸地震」が襲ってきました。

あなたがお住まいの地域は被害は有りませんでしたでしょうか?

本当に色々な事がおきます。

秋葉原の通り魔殺人事件、私も25歳と23歳の息子を持つ親として非常に衝撃を受けました。

先日次男が父の日のプレゼントと言ってポロシャツを持ってきてくれました。

その時に「何で彼はこんな殺人事件を起こすようなことになってしまったのだろう、どう思う」と聞いた所

次男は「勉強を押し付けすぎたのが原因なんじゃないの」と言っていました。

さらに「俺は子供ができたら絶対勉強をしろとは言わない」とまで言っていました。

私から見れば勉強嫌いで遊んでばかりいた次男の意見だなと苦笑してしまいましたが一理あるかもしれません。

私自身も反省したことがありますが、最初の子が生まれるとどうしても厳しく接してしまいます、そしてその反省から次の子には寛大になります。

親として自然な事なのかもしれませんが、最初に生まれた子には辛い事かもしれません。

報道されている加藤容疑者の供述からも父親への恨み言が出ているようです。

父親としてははじめて見る我が子への思いが募り、どうしても最初の子には厳しく教育をしてしまうのですが子の側からするとそれが重荷になり精神的につぶされる子も出てきてしまうのでしょう。

それでは、そのプレッシャーに負けてしまい自暴自棄になる子と押しつぶされない子との差はどこにあるのかを考えた時、それはやはり親の「愛」の表現方法の違いとして出てくるのかなと思ってしまいます。

例えば、肩を抱いてやる、プロレスごっこ、一緒に野球やサッカーなどで汗を流し、このような言葉だけではない体と体をぶつけ合い付き合うことによって起こる心の触れ合い、これが重要になってくるのではないでしょうか。

一緒に何か運動なり、作業なりをすることによって生じる心の触れ合いって有ると思います。

飽食の時代といわれてから随分経ちますが今では世の中物が溢れ無い物は無いような時代です。

子供がゲーム機が欲しいといえばそれを買い与え寿司を食べたいといえばその要求に答え、子供の欲求を満たす事でそれが子供の幸せと考えている所が親にはあるのではないでしょうか。

それよりも、子供は親との心の触れ合いを求めているのではないでしょうか?

例え、厳しく叱られたとしてもその親の言葉が本当に自分のことを思ってしかってくれているのだと解った子は素直にその親の言葉を受け入れるでしょう。

しかし、親の真意を理解していない子供は親に対する反発の気持ちしか生まれてこないのかもしれません。

この違いは子供と親がお互い心と心が通じ合っているかどうかに掛かってくるのではないでしょうか。

「子供が何を考えているのか解らない」と日頃感じているお父さんもいるのではないでしょうか。

肌と肌との触れ合い、ぬくもりそんな事が大事なのではないかと考えた1週間でした。

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